古代、周辺の豪族とともに栄えた三国の地は、三国港とともにその歴史を刻んでゆきました。
三国港は中世は大寺の荘園の一部として
、また南北朝時代には朝倉氏、柴田氏など歴代国主の支配と保護を受け、港町としての機能を整えていきました。江戸時代に入ると都市化が進み人口が増加、現在の市街地の概観がこの時代にはできあがったと考えられています。江戸中期、北陸の船乗りたちが大阪と北海道間を物資輸送しこれを売買して差益を得る「北前船交易」をはじめると、三国でもやがて廻船経営に力を入れ始めました。
後期には三国は日本海側有数の北前船の中継基地に発展、森田家・内田家といった豪商がうまれました。商業の発展は、町人文化・工芸技術をも開花させ、港は大いに賑わいました。幕末期から明治初期の港の最盛期には、オランダ人技師による龍翔小学校の建設、日本発の西洋式工法の三国突堤の建設など大事業が行われました。
しかしやがて鉄道が通り始めると港湾機能が低下し三国港は商港から漁港へと転換してゆきました。三国は1700余年の歴史に映える港町。
現在では漁業・農業、また工業誘致にも力を入れる一方、東尋坊や越前松島、三国温泉などのスポットを抱え年間350万人以上の観光客が訪れる観光の町として今も続いています。
海、山、川、丘・・・自然に囲まれた町、三国。
越前加賀海岸国定公園のほぼ中央に位置する海岸線と、そこからなだらかに続く美しい丘陵。まさに、宝石のような、自然に囲まれた地域です。
海や砂浜、磯では水遊びをしながら、丘と野原では緑の香りにつつまれながら、のんびりゆっくりと散策をお楽しみください。
日本随一の奇勝として名高い東尋坊。間近にみる断崖は迫力満点。東尋坊の魅力は、古くから名勝として称えられてきた断崖絶壁。ゴツゴツとした岩が約1キロにわたって続いていますが、「輝石安山岩の柱状節理」という、地質学的にも珍しい奇岩で世界にも東尋坊を含め3箇所しかないといわれています。水面から25mもの高さ(ビルの8~9階くらいに相当します)から見下ろす景色はまさに絶景。東尋坊先端に浮かぶ雄島とともに、日本の天然記念物に指定されています。周辺には昔ながらの土産物店・お食事処もいっぱい。遠く能登半島まで見渡せる東尋坊タワーもあり、楽しみ方はいろいろです。
時は寿永、民に巨悪の限りをつくした東尋坊という名の怪
力の悪僧。在所の美しい姫君に心を奪われた東尋坊は、恋敵である真柄覚念という僧と激しくいがみ合ったとされる。ある時、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落とした。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続いたそうな。毎年命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激しく打ち殴り続けたとか。
この岩壁が「東尋坊」と呼ばれることになった由縁に、こんなにもはかなく切ない無骨な男の悲恋物語があったという逸話を、福井県民も以外と知らないはず。
絶景に心打たれ、海面を遊覧船で滑り、美味しい海の幸に舌鼓を打ち、買物に興じる、そんな自由で平和な現代人の姿を、いにしえ人東尋坊は「俺もこの時代に生まれていれば・・・・」と、きっとボヤいていることでしょう。